末期がんの祖母が残した最後のシンプルな言葉

私事ではありますが、先日祖母が亡くなりました。すい臓がんで、末期がんでした。手術も出来ない状態だったので、いつかはこうなってしまうと覚悟はしていましたが、それでも1年以上持ち、亡くなる1週間前に私は会い、それが最後でした。

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死を覚悟した人が最後に伝えいこと

私が最後に会ったときは、すでに話すこともシンドイといった状態で、チューブもつけていましたが話はしたいようで、なんとか頑張って会話をしてくれました。その時の会話は、家族それぞれに、

「みんな、仲良くせなイカン。みんな仲良くな」

ということでした。

「家族仲良く。親子仲良くな。」

と、しきりに繰り返していました。特に家族と喧嘩していた訳でもなく、そういった状態だったわけでもないので、心配して言ったというよりも、とにかくこれだけは伝えておきたい、といった感じでした。

みんな仲良く、という言葉は幼稚園や小学校ではよく聞かされた記憶がありますが、大人になって聞くことはありません。そういえばありません。

なぜなら、大人になると、みんな仲良くすることは不可能だということがわかってしまうからです。大人になると、考えや信条・利害関係など越えられない壁がどうしても出てきます。というかそういう壁があるからこそ大人であり、そこをうまいこと折り合いをつけてなんとかやっていかないといけないのが大人です。身内同士でもそういうことはあります。誰とでも仲良くするというのは、よほど脳天気か愛する家族、ごく親しい間柄しか出来ないはずです。

結局、私が聞いた祖母の言葉は、それが最後になってしまいましたが、みんな仲良く、という言葉はお見舞いを終えた後もずっと頭の隅にこびりついています。

仲良くって、簡単なようでとても難しい。ただ、人生の最後を自覚し、振り返ったときには、もしかしたらそういったところで後悔や重要と感じるなにかがあったんだろう。簡単なようで難しいこの課題に、もう少し真剣に向き合わないとな・・とずいぶん考えさせられました。今も考えています。

家族仲良く、親子仲良くというのは、これからの残りの人生、壁にあたったときは振り返って大事にしていきたいと思います。

仲良くするということ

仲良くする、ってそもそもどういう定義なんでしょうね。表面上問題が起きない状態を保つことなのか、定期的に連絡を取り合うことなのか、時折その人の顔を思い浮かべ、その人のことを考えることなのか。考え出すと深みにハマってしまいます。人からみて仲が良さそうというのと自分主体で仲がいいと思える人はやはりちがうものです。どちらも満たすというのはおそらくこれから先、無理でしょう。よほど頭からっぽでないと実現は難しいと思う。仲が悪いという状態は大人な人ならみな意識し避ける方向にいくでしょう。しかし、仲よくする、というのはきっと自分をさらけだして、本気で人と向きあっていかないと実現出来ない難しいことだと思います。

祖母の言葉を大切に、これからも祖母の分まで気負うことなく生きていこうと思います。

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